すべてのひとに、おなじように支援できるわけではない。
でも、この方との生前のお約束は、どうしても果たしたかった。
今月、ある利用者さんがお亡くなりになった。
今まで、問題となっていなかったが、急に心不全の症状が出始めた。
私は、彼女に、「しっかりと治療して、良くなって戻ってきて。」と言い、入院に消極的だった彼女は、他のスタッフからの声かけもあり、納得して病院に行き、入院した。
しかし、状態悪化は止められず、危険な状態であると病院から連絡があった。
HCUでの面談ができた。呼吸は苦しそうで、目を開けることなく苦しそうに横たわっていた。
その彼女に、私は味噌ラーメンを一緒に食べる約束をしていた。
彼女に、「味噌ラーメン食べに行くんでしょ!」と声をかけた。
すると彼女は、カッと目を開き、しっかりと私の方を見た。声は届いている、そう確信した。
そこで、私は「何かがあっても心配しないで。息子と一緒のところに入れてあげるから。」と伝えた。
聞き取れなかったが、彼女はうなり声を高め、何かを訴えていた。
6年前に、彼女の息子は、彼女の目の前で、急に倒れて、そのまま息を引き取った。あまりにも突然のことだった。
彼女たちは生活保護を受けていた。
彼女は、息子を荼毘に付した後、こつこつと貯めたお金で、すてきな場所にある合同墓地に息子を入れた。その場所は居住地とは違う市町村だった。
今年の息子の命日であった5月に、一緒にお墓参りもした。また来るよと言っていたが、まさかこれが最期になるなんて、誰も想像していなかった。
HCUで会って2日後に、彼女は旅立った。
生活保護制度で荼毘に付し、納骨するということは、市町村の指定した場所に納骨されることになってしまう。それでは息子と離れ離れになってしまう。
彼女は、この地に来る前に、大きな辛い経験をたくさんし、命からがら、息子と一緒にこの地に逃げてきた。
心の支えだった息子が急逝し、どれほど心細かっただろう。
味噌ラーメンの約束は果たせなかったけど、息子と一緒のお墓に入れるという約束は、絶対に果たしたかった。
収骨しながら、ひとり静かに誓った。
ケアマネとしてではなく、ひとりの人として。

そして、今日、その約束を果たすことができた。
はじめに言ったが、こんな支援は支援とは呼ばないと思うし、自分の関わる方全ての方に同じようになんてできない。これは私と彼女の関係性で紡いだ物語である。その物語を完結させるためだったんだと思う。
近いうちに、彼女のことを思い出して、味噌ラーメンを食べようと思う。
